​雪斎さんのお話

岐阜で活動しております、苗字に田中ってついておりますが、最近苗字を言わないのです。どこでも雪斎で通しておりますのでよろしくお願いします。もう役所関係も全部雪斎。それから岐阜では独自にですねこういうのを作って、立派でしょう?変な話ですけどぎふ・ぱすぽーとが立ち上がったのは今年(2018年)の4月です。それまでは、個人的にね、私他に例えば各務原とか岐阜市で食と健康に関する講座を持っていたり、あるいは岐阜の食材をブランド化しようというような、そういう団体がありますが、そういうところにも所属していますので、そこの名刺をこう、持って行って、実はこういう者ですけど、って。ある場所では、私これでも、そば打ち職人、なんです。

ここの中の報告にもありますが、12月9日に調理室を備えた岐阜のドリームシアターという施設があるのですが、そこで年末の年越しそばスペシャル、ということで、みなさんに、普段では食べられない、例えば十割蕎麦ね…食と健康の名刺を持ってきても、LGBTと関係ないんじゃない、みたいな話ですし、ましてそば職人なんです、なんて言ったら、どういう関係があるの、なんてことにもなりますね。いろんな活動をするのに苦労してました。でそんな時に、共同代表の一人大橋っていうのがいますが、じゃあ団体を立ち上げて、団体の名前でいろんなところでお話しすれば多少は聞いてくれるんじゃないかということで、LGBT、sというのがついてます、が、集いと支援の団体として、「ぎふ・ぱすぽーと」というのを立ち上げて、まそれからいろんな活動を開始したわけなんです。

 

簡単に自己紹介だけさせていただきたいのですが、私今こんな姿をしておりますけど、正体は男でした。男でしたというのも、年をこの中でも明かしてしまっているので今更隠しようがないのですが、毎日新聞の記者さんが私のところに取材にきていただいた時に、まいろんな話をしていただいたあとに、このタイトルは私が勝手につけて新聞に載っけますから、ということで、ああいいですよ、といったら、「還暦のカミングアウト」なんていう…(会場笑い)やめてよー、ってね。

 

私の年は還暦以上だということがバレてしまったってわけですね、これでもう隠せないことになったので、今まで年齢を聞かれてもいくつに見えますか?とごまかしてたのが、もうはっきり年齢も言ってしまおうというわけで、実は今、というか年が明けると、72歳を迎えます。ですから、相当な年なんですね。でこんな年をしてこんな格好をしてみなさんの前で話したりあるいは行政に押しかけたり、企業に押しかけたりするってのは、初めのうちは本当に恥ずかしかったんですけど、これをやらない限りやっぱり私たちの活動は本当にわかっていただけないことも多いのではないかということで、今そんなことで動いているわけです。

もうね、小学校の高学年の頃から、なんか自分はおかしいなと思ってたんです。妙に女の子に興味がある。といっても、いわゆる、すけべな男の子という意味ではなくて、女性の仕草に興味があったり、女性が着ている服装にすごく興味があったり、そんなことを思っていたのが小学校の時代でした。だけどそれはそれこそ60年も前の話ですからその時代に私がそのような傾向のある子なんだってことは周囲には一言も言えません。そんな時代じゃなかったんですね。男は男。女は女。現実今でもそうなんですね。岐阜っていうのは非常に保守王国と言われるくらい、昔の考え方が残っている地域です。ですから、人といえば男と女しかいないと思われているんですね。

でこんな人間がいると「変なやつ」っていうふうに思われることが今でもあると思いますけど。で中学に入りますとね、それがだんだん、だんだん女性の方に向かっていくのですけれど、そんな時にね、中二の時に、今でいう性暴力。男なのに。男性が男の私に性暴力をするってどういうことかわかりますか?とっても恥ずかしいことなので中身はなかなか申し上げられませんが、それを受けてからますます男性というのが嫌になってしまったんですね。だけどその当時まだ中学生ですから、まだそんな悩みがあったっていうことを家族にも友人にももちろん学校の先生にも打ち明けることができず、ただ何を考えたのかって言ったら、それは自分が弱かったんだって相手に対して相手に対して毅然とした態度で臨めなかったから、無理やりそういうことをされてしまったんじゃないかなとその時は思ってました。

で、中学時代高校時代というのは私はそういうことに対する反面の行動ですかね、男だったらここまでやってやろう、みたいなことで、例えば中学の時も不良学生といっぱい付き合いましたし、チェーンを持って喧嘩にも行きました。石の投げ合いをして相手に怪我を負わせるなんてこともしょっちゅうありました。ですがその頃はそういうことに対して世の中大目でね、なんか不良学生が石投げあって相手の子が怪我したよぐらいで済んだんです。高校になるとますますエスカレートして、私のその頃の居場所は美川憲一が歌っていた柳ヶ瀬ブルースっていう歌ご存知ですか、柳ヶ瀬という地域がすごい賑やかな地域で、もう昼も夜も人が押しかけるようなそんなところでしたが、そこにずっと住んでました。住んでましたってのはおかしいんですが、学校出るとます柳ヶ瀬行って、柳ヶ瀬であっちこっちのお兄さんたちと遊び歩く。暴力団の親分にも呼ばれました。そこの家に行って、高校生なのにお酒のご馳走にもなりました。もちろん暴走族もやりました。そこの国道22号名古屋に通じる名二国道と言いましたけどあそこを350だの400だのっていうバイクにバンバン乗って白バイやパトカーにバンバン追いかけられるわ、その度に逃げ果せたんですが、そういうようにね、とんでもない中学生高校生時代を送ってたんです。

高校出た時にちょっとだけ、警察学校へ行きました。隣のおっちゃんが警察官で頼むから警察官の試験受けてくれって言われたんです。こんなこと言うと語弊がありますが当たり前のように合格はしました。私は高校は岐阜県で進学校と呼ばれる、一番上はね岐阜高校って言われるご存知だったですかね、私そこへも行けたんですけど行かなかったんです。なんでかっていうとあそこは勉強ばっかりしなきゃ行けないと言うイメージがあったんで、それよりも岐阜北高等学校というのがあったんです。そこは先輩にきくと岐阜の慶応みたいなとこだよ、って。つまりね、規則もあるけど勉強勉強ばかりじゃなくてある程度楽しむこともできるそういうことを聞いたらもう行きたくてしょうがなくなって、そこへ行ってたわけですから、もちろん大学へも行った身分ですから、勉強さっぱりできないわけじゃないので、警察官の試験は合格したんですけどね、大学行くまでの間に、警察学校に二週間ほど入っていた。行ってびっくりしたのは、周囲は全部高校時代の番長です。(笑)えーなんでお前がここにいるんだみたいな、当時はそうですよ、今は違いますけど、当時はそういうような子達がみんな警察学校へ来て警察官として勉強して訓練したわけです。だからああーって納得したのは、刑事とかって呼ばれる人たちは、一見すると暴力団のにいちゃんじゃないかって人がいっぱいいたのは、自分が高校の時に暴力団と付き合ってたりいろんな学校で番長をやってたような人たりばっかりだからそれぐらい男男して過ごしたのが高校時代でした。

高校の頃はやっぱり自分が女になりたいと思うとたまらなくそういう方向に走っていってしまうだろうなっていうことをグッと抑えるためにもそういうようなことをしてた。大学に入りますと、中学高校時代私本当に勉強しなかった。さっき言ったように柳ヶ瀬側沿いが生活の場ですから、学校も遅刻早退遅刻早退遅刻早退ていうのでまともにいないんです。お弁当を食べるぐらいですよね。柳ヶ瀬から家に戻るのは明け方の4時ぐらい。それから2、3時間うとうとして一応学校には行きますけど、家を出たらまず天気が良かったらどっかの河原でごろんと横になって仮眠をします。睡眠不足になるので。それから学校に行ってお弁当を食べてさようならと帰ってしまうような生活をしていたために、大学に来たならね、今までずっと遊んでここまで来たんだから、大学ぐらい気合い入れて勉強しようかなって。みんなは逆なんですよね。大学入るとこれで自由だって遊びとかバイトとかを一生懸命やるんですが、私は大学時代が一番勉強した時代でした。

 

担当教官ですけど、ここで勉強させてくださいってお願いをした時に「条件があるのは、僕は大学で一番厳しい」と言われている先生だから、私の風貌を見てお前には絶対無理、途中でやめてしまうだろうから選ばない方がいいよと言われたのを、何としても先生のもとで勉強したいっていうお願いをしたら、条件がいくつかあるけどそれを守るなら、というので言われたのが、女はダメ、つまり女性と関わっちゃいけない、アルバイトもダメ、あれもダメこれもダメという条件の中で勉強をしたので、大学時代は一番勉強した時でした。で社会人になります。

 

これは、私は教員だったわけなんですね。で、教員の時も、実は親父が教員だったために、その年に新卒で教員になった者の代表としてインタビューを受けてくれと言われ、中日新聞からインタビューを申し込まれて、新聞の欄のとこで「この人」とかいうの、よくありますね。あそこに私、ボーンと載ったんですね。そしたら、最初の赴任地では、校長先生とか教頭先生がですね、私のことをすごく評価するんです。私まだ、何もやってないのに。そういう所におる人間だから、これは優秀な人間に違いないてね。ところがそうじゃない、全く、箸にも棒にもかからない教員だったわけです。教員規則は守らないわ、好き勝手カリキュラムなんて関係なしに授業はやるわ。だから、こう、どんどんどんどん、校長先生、教頭先生、それから教育委員会に嫌われて。本来なら、私、10年ほど教員をしてたんですが、学校は2校くらいしか知らないはずなんです。もう、私、4校も知ってるんですね。どんどん、こう飛ばされていく。もう、こんな先生は教員として面倒みきれないから、今度もう、2年経ったら、あっち、1年で、こっち、って行ってる間に、そういう組織の中では、私は、絶対できないな、ということで辞めてしまいました。

そして、塾を始めたんですね。どうせ教えるなら自分で自由に教えたい。で、新聞の記事の中にも塾講師として、ずーっとやってきたと書いてあるんですけど。実はこれは、記者さんのちょっとした勘違いで、講師じゃなくて、私、塾の経営者だったわけです。一応、会社組織にしてありましたから、社長でもあったわけです。何しろ、経営の方は、さっぱり不得手だもんで、途中で会社も、ある意味、倒産ということにもなってしまってね。それからは、少しだけ塾の講師というのも務めて、そして、いよいよ自分の本心というのに従って行動したいなというのがあって、少しずつ女性の姿を自分の中に取り入れるようになりました。

60歳のカミングアウトと書いてありますが、この還暦になったことを機会にして、私、仕事を一切、辞めて、そして、自分で自由に生きてみたい、あと残り、どれだけあるか分からないですからね。で、本格的にこんな恰好をし始めたのが、還暦を過ぎてからでした。

 

で、周りは、やっぱりね、先ほど申しましたように、「変な人」としか見ていただけなかったのは、LGBT堂々と発信」と中日新聞が大きな記事にしてくれたんですが、これを地域の皆さんが見て、「ああ、あなたって、こういうことをしてる人だったの?それまでは、なんか変な人だなあ、と思ってたんだけど、こういうことだったんだね」ということで、やっと、地域では多少は認めてもらえるということになったわけですね。

話がとんでもない方にずれてしまいましたけど、「ぎふ・ぱすぽーと」で行ってるということは、私も、何ていいますか、自分でもびっくりする位、いろんな方が岐阜において、協力をしていただいているということですね。こんなに、いわゆる、岐阜での活動が、できるようになったということが今でも信じられません。

1番最初の各務原の市長さんとの面会、それから、名古屋の方たちと一緒に行った岐阜市長との面会、そして羽島の市長さんとの面会、そして、まだ、予定なんですが、大垣の市長さん、下呂の市長さん、そして、多治見の市長さん。もう、あの、ずっと市長さんを尋ねて歩いているんですが、来年の5月には岐阜の市長会というのが開かれます。21の市長さんたちが集まる会、そこで、多分、プレゼンテーションをやらせていただける、ということになって、これが、実現すれば、各市を回って歩く手間がちょっとだけ、はぶけるかなぁ、というふうに思ってますね。

こんなふうに、岐阜は、本当に始め申し上げたように、保守性が本当に非常に強いところ。そういうところで、こういうことについて、こう切り込むというのは、かなり努力が、自分で言うのもなんですけど。え、努力が要る、それから、知恵も要る。こういうことをするためには、誰にお願いしよう、どういう人脈があったら、これが上手くいくのかと、いろいろ考えたあげく。いろんな所の議員さん、この議員さんは別に例えば共産圏の人とか限らないで、お話さえ聞いていただければ、自民であろうが、共産であろうが公明であろうが、どんな方でも、お話を聞いていただければ伺う。それから、地方議会だけではなく、県会の方にも、二、三、やっぱり、お話を聞いていただけるようなことがあって、その方の努力で、先日、県庁の四つの部門の方の責任者の方たちと一緒に合同で、これからのことについて、お話をするような機会もいただきました。まだ、予算がどういう風につくか分かりませんけど。来年度は、県の学校職員に対する研修を行うということと、県内、五つの経済ブロックみたいなものに分かれているのですが、その5ブロックで、企業に対する研修を行うということ。そして、もう一つは、岐阜県にある大型のショッピングモール、ま、例えば、イオンとかね。いろいろ何ヶ所かあるんですが、そこでLGBT関連の行事を行う。という、三つを県の方で一応、約束をしていただきました。

その約束の中には先ほどのチトセさんのお話にもありましたけど、行政側だけが、これを企画したりなんかすると、様々な弊害が起こる可能性がある。違ったことをされたら、大変なことになるので、「必ず当事者を呼んでください」。ま、そんなお願いをしながら、どこへ行っても、「私が当事者ですから、話を聞いてください」ということを強引に今、申し上げて活動を進めているところです。

余談を申し上げてしまったので、肝心な所が、抜けてるかと思いますが、あと、このお配りした物を見ていただければ、たいてい、岐阜のことは分かると思いますので。ありがとうございました。